『森繁久弥は多彩である。
だいたい古川緑波一座で鍛えられたあとは、
満州に渡ってNHKのアナウンサーになっていたし、
喜劇軽演劇悲劇ホームドラマ百般はすべてこなし、
なんと50年も続いている加藤道子との
ラジオ『日曜名作座』の朗読は日本の話芸といってよい。
そして、歌はモリシゲ節。これはなんといっても森繁久弥の
哀愁そのものだが、それだけでなくミュージカルも旨い。
それから、ヨット、クルージング、「あゆみの箱」などの慈善事業、
さらにはエッセイの達人で『森繁自伝』『こじき袋』
『帰れよや我が家へ』ほか、著書もすこぶる多い。』
(松岡正剛『千夜千冊』より抜粋)
森繁久弥さんの本当の職業はなんだったのだろうと、
『ウィキペディア』を引いてみると、
俳優、作曲家、作詞家、アナウンサーと4つが並んでおり、
解説記事は、なんと15ページに渡っている。
大阪に生まれ、その才能は、東京のみならず満州にまで及び、
マルチタレントとして花が咲いてゆくのである。
私が接した頃の森繁さんは、すべて引退されていたが、
その存在感は凛としていて、ひと言、一言が身にしみたことを覚えている。
食欲旺盛で、ステーキ等の肉料理を平らげ、
ホットブランデーを愛飲する元気な姿は、
晩年、「体は思うように動かないが心は現役である」という
コメントの主、そのものであった。
大正に生まれ、昭和を舞台に生き、平成で96歳の生涯を全うした
森繁久弥さんのことを、松岡正剛氏は、
「昭和史とは、森繁久弥の歴史だったのである」と書いている。
その昭和史の一端を見せていただいたことは、私の心に残る財産である。
(おわり)
(K.K.)
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