グラフィックデザイナーの原研哉さんが、岩波の『図書』今月号で、
「柳宗理の薬缶」について、すばらしいエッセイを書いているので紹介したい。
『柳宗理のデザインした日常品が静かに注目されている。
たとえば薬缶。
何の変哲もない普通の薬缶である。しかし実に堂々として、
薬缶はやっぱりこれに限る、とおもわせる説得力に満ちている。
薬缶の用途は単純だ。水道の蛇口から水を注ぎ入れて
加熱器にかける。ガスでも電磁調理器でも同じことだ。
湯が沸くと、注ぎ口から湯気が立ち上がり、
それを急須や保温ポットに移す。
柳宗理の薬缶は、そんな日常の行為を無理なく自然に行なうための
道具として、すばらしく良く出来ている。取手の握り心地やたっぷりした
注ぎ口の造形はいい意味で鈍みがあり、安心感がある。
ずんぐりと座りのいい胴や蓋の膨らみには、用の美に徹した設計者の
誠意が張っているようだ。
少しまえまではイタリア製の、幾何学的にエッジの立ったケトルが
なにやら目を奪い、時代の先端を切り裂いてすすんでいるかのように
感じられたものだ。しかし最近ではむしろそういうものの方が
時代がかって見える。
この感覚は決して懐古趣味の流行やリバイバルブームでない。
消費の欲求に駆られて、目を三角にして「新しさ」を追い求めてきた
僕らのアタマが、少し平熱にもどって、まともに日常の周囲を
見渡すゆとりができたということではないだろうか。
柳宗理の薬缶はアンティークでもないし、古き良き時代を象徴する
ノスタルジーの産物でもない。ごく普通の工業製品として、
日常の動作にきれいに寄り添っているということだ。』
(次回に続く)
(K.K.)
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