映画プロデューサーの仕事

私は、2月、8月(通称:ニッパチ)は、努めて充電に当てている。
先日は、著名な映画監督・小津安二郎のプロデューサーであった、
山内静夫氏のお話を聴いた。(現・鎌倉文学館 館長)
氏は、「晩春」「麦秋」「東京物語」などの名作を立て続けに発表し、
日本映画界の重鎮となった小津安二郎の映画54本のうち、
後半の映画6本のプロデューサーを務めた。
私は職業柄、映画監督の仕事は大体理解しているが、
映画プロデューサーの役割はあまり知らなかった。
その仕事は、興行の予算や日程管理等、
すべての日常管理業務の責任を持つものだそうだ。
また、映画監督は、脚本から俳優さんの決めも含めて、
映画が出来上がるまで中身のすべてを受け持つ。
小津監督は、仕事とプライベートは、はっきりと分かれていて、
非常に楽しく仕事が出来たそうだ。
「面白くなければ映画でない」という言葉もあるが、
小津監督映画は、「心に響くものを出せない映画は映画でない」という。
監督自身の人間性が出るからと、例えば、一流の人と付き合うとか、
常日頃から向学心に燃え、自分自身の向上に努めていたとも話されていた。
映画監督は、映画の中身に没頭し、わが子のように育て上げるものらしく、
映画プロデューサーは、そうした映画監督・クリエーターが
働きやすい環境を作る役割なのだ。
デザイン界を見てみると、アップルのスティーブ・ジョブスなどは、
小津監督と似ている面があるように思うが、
デザイナーの世界の「プロデューサー」の役割は、
映画界とは少し様子が違うようだ。
注)小津安二郎は、映画監督以上に映像芸術家として国際的に知られ、
  溝口健二、黒澤明と並んで非常に評価が高く、
  「東京物語」はヨーロッパで非常に人気が高い映画監督。
  1963年12月12日満60歳の誕生日に、腮源性癌腫により死去。
  死後、フランスを中心に国際的評価が高まり、独特の映画スタイルが
  斬新なものとされ、著名な映画人たちが小津映画の再評価に勤める。
  2003年、小津安二郎の生誕100周年に、記念プロジェクトが立ち上がり、
  各地で上映会等の記念イベントが催された。
(K.K.)
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