8月は、12日から16日まで夏休みを取り、金沢に帰省した。
今年も、新幹線や飛行機を使わず、往復とも青春18切符を使い、
行きは米原経由で10時間、帰りは直江津周りで11時間かけ、
鈍行での旅を楽しんだ。
13日には、夏休みの宿題として、以前ブログに書いた
(東日本大震災 デザイナーは何が出来るか(3))
「黒四」建設3ルートの一つ、「黒部ルート」(他に大町ルート、立山ルート)を
半世紀ぶりにたずねた。
富山から宇奈月に入り、トロッコ電車で渓谷を縫うようにのぼり、
終点の欅平で2時間ばかり歩き周って考えた。
「黒四」建設は、太平洋戦争で敗北した日本が、
復興に向かって本格的な第一歩を踏み出すための時代の要望であり、
難工事を覚悟のうえで着手した、史上空前の大工事だった。
その大動脈である大町ルートの関電トンネルは、
ミフネと裕次郎の『黒部の太陽』で映画化された。
「黒四」の全工事に参加した労務者は延べ一千万人、
「黒四」建設は、日本人の持つ潜在可能性を開放し、
さらに将来への発展の基礎を作り、指標の役割を果たした。
それは、水資源に恵まれた日本の水力発電の歴史であり、
国産の技術力の高さをしめしていたが、如何せん、水力発電は
発電コストに占める初期の建設費の割合が非常に高い。
時代は高度経済成長期に移り、安全神話をつくりだし、
原発による電力の安定供給時代になっていった。
3.11から得た教訓の一つは、「急がば回れ」ではないが、
急ぐこと、効率ばかりを追求すると、ロクなことがないということだ。
そう反省しながら、鈍行で旅することも一興と思った。
(K.K.)
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