日本の工業デザインの草分けで、日本民芸館名誉館長の柳宗理さんが、
昨年12月25日、肺炎のため亡くなられた。96歳。
柳さんは、私たちの母校の特別客員教授を半世紀以上続けていた。
生前、その理由を問われ、
「金沢は好きだから。美大の先生もよかったし、学生も素直でよかった」
と語っていらしたと、先輩から聞いた。
私も不肖の弟子の一人として何が出来るのか、
とりあえず、昨夜、仲間内で柳先生を偲ぶ会を催し、
師から教わったエピソードなど語り合った。
50年前の工業デザインの草分けの授業は、
モデルづくり、粘土の捏ね方から、立体の石膏の削りだしなど、
手作業からデザイン教育がスタートした。
ある仲間は、電化製品や自動車のスタイリングのみの、
使い捨て産業に加担することはないと教えられたとか。
師は、ナイフ、フォークから道路、橋まで幅広い仕事に携わり、
シンプルで丸みのある、素朴な民芸の精神を生かした作品で、
日常の美を追求し続けた。
その生き様は、一世紀にわたり、びくともしない精神で貫かれ、
見事なデザインライフだったというのは、不肖の弟子たちの弁。
弟子の一人は、末筆になりますがと前置きしながら、
「いつお会いしても、常に暖かく、穏やかで、さわやかな微笑の先生であった」
と追悼の言葉を書いてきてくれた。
私は、2002年文化功労者のお祝いの会でお会いしたのが最後だった。
なんとも悔やまれる。
(喜多 謙一)
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