先週、NPO・ボランテイアの一人として、月、水、金の三日間、
有楽町の画廊で店番をした。
「有楽町で逢いましょう」という歌で、一世を風靡したあの街である。
各県の物産館が入っているビルで、「ふるさとの匂い」の懐かしさを
求めて来るのだろうか、やはり平日も往年の人で賑わっていた。
画廊だから、来客者は絵を見に来るお客さんばかりと思っていたが、
不思議な行為が目立つお客も少なくないのに驚いた。
杖まで付いていないおばあさんなどは、画廊の中の椅子に
うずくまっている。気分が悪くなられたのかと問いかけると、
何と画廊の前で友人と待ち合わせ、腰掛ける椅子がないので
画廊に入って休ませていただいているというのである。
また、突然入ってきて携帯で話し込んでいる加齢なる人は、
「公衆電話ボックス」として、画廊を拝借しているのであり、
絵など見ないで帰って行く。
映画を見た後に絵を鑑賞し、一日の日課を終え帰宅するという
高齢者が目立って多く、若いサラリーマンなどは
ラーメン屋に並んでも、そのお隣の画廊には目もくれない。
久しぶりに、ここで現場感覚、人間リサーチ、何かの市場調査を
している気分になった。この人たちも、日曜画家も、
ここでは「時間の有効活用」をしているのだ。
思うに私たちの時代の器用さは「手先に」あった。
まだまだアナログの世界だった。
それが「指先に」移って、スマートフォンの小さな画面を使いこなす
ところまで来た。今、指先に頼って、かつて考えたこともないデジタル、
ネット社会、映像文化の中に生きていて、
画廊など必要としないのだろうか?
帰りしな、暇にしていると女性の占い師まで寄ってくれ、
話し込んでいったのには驚いた。
さすが東京である。そう、ここは「日本の縮図」と言っても
過言ではなさそうだと思った。
(喜多謙一)