都会では生きるだけで、私たちは教養を得る。
なぜなら、自然の希薄な都会にあっては、人間が受ける刺激の大半は
人工的なものだから、それはすなわち文化とも教養とも深い関係が
あるのである。その代わり、地方において濃密な自然からは、
人間は哲学を学ぶはずである。(曽野綾子「引退しない人生」)
熊本の地震の前には、”アベノミクス”も何にも歯が立たない。
今度の地震は、嫌というほど、我々人間に自然の恐ろしさを教えてくれた。
いや今なお、しつこく教え続けていると言っても過言ではない。
杉の木のてっぺんは、三角、鋭角だと思い込んでいたが、ある時、
てっぺんが丸い杉の木を見て「なぜなのか」と、植物博士から問われた。
すかさず誰かが、杉の木のてっぺんを剪定したのでしょうと答えたら、
ブー。・・・杉の木の根元は、岩盤が固くて根がはれないから、
土中、横にのびるしかなく、杉の木のてっぺんも丸くなるのだと説明を受けて、
私はショックを受けた。
我々は、花を見ても木を見ても、地上のものしか見ていない。
それしか見えないが、土中の根の張り方で、美しい花も実もできることを
ここで学んだ。その自然こそが師であり、人間はそこから哲学を学ぶのである。
そういう意味で、熊本地震から学ぶことが多ければ、
人間の未来も明るいものにできそうだ。
(喜多謙一)