パリ五輪・花の都の思い出 (1)裏方・金メダル

おはようございます。お元気ですか?
オリンピック始まりましたね。これからしばらく毎日が楽しみです。

2024年4月1日撮影 セーヌ川・パリ市街(五輪会場) エッフェル塔展望台より

 

流石に芸術の都パリでのオリンピック開会式。格調の高いお楽しみいっぱいの開会式でした。セリーヌディオンさん、体調良くなってよかった!記憶に残るいいものを観せてもらえた気持ちです。長生きして本当によかったです❣️・・・  と、ラインに旧友・女友達から便りがあった。

全く、私も同感ですと、お返事した。

思うに、私にはオリンピックという言葉は、私の人生の一角を担った出来事に思えるぐらい因縁深い。1964年、10月、東京オリンピック、新幹線が開通した年に名古屋のブラザー工業に入社、名古屋だから大会は、多分、見に行けないと思い、恩師(柳 宗理 注1)に頼み込み、オリンピック会場・現場を見せて頂いた。

その20年後の1984年、デザイン部門から宣伝に移り、初めての仕事が、米国・ロサンゼルス・オリンピックのスポンサー業務、世界にブラザータイプライターPR”宣伝”する、その後が1988年の夏、ソウル、冬はカナダ・カナダカルガリーと、なんと、1992年はスペインバルセロナと続いた。

オリンピックのスポンサーになって“商品を宣伝する”行為は1988年ロサンゼルス・オリンピックからであり、運営の仕事は、奉仕活動のみでは限界があり、商業主義が取り入れられたのだ。

長年、裏方を見てきたから、今年も当然、“裏方”が気になった。その一つに、セーヌ川の水質戻らず、トライアスロンが延期、26日、27日の降雨の影響で水質が悪化したと聞くと関係者の努力が実らなかったのが残念に思ったが、セーヌ川の水質改善に巨大な貯水池など大規模な改善策を講じたパリ市の政策は、やはりすごい。というのは、1991年、33年前、パリで仕事を終え帰国最後の見学先がセーヌ川、その川底見学、地下道(映画などに出てくる)。その大きな“川底の構造”を見て驚き、今回は巨大な貯水池など大規模な改善策を講じたと聞くと、やはり金メダルに値する政策と私には映った。

2024.8.1                                  喜多謙一

(柳 宗理 1915-2011 バタフライ・スツール 札幌冬季五輪聖火台のデザイン。2002年文化功労者)

 

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