菜飯のほろ苦さ

菜飯のほろ苦さ

3月に入り、もう春だなぁと朝のミーテイングに話したら、
ふと2月末のブログ締め切りを忘れ、書いていないことに気が付いた。
本日書くよと話しながら、やさしいスタッフだから、
皆、催促しないのだと初めて気が付いた。
私は、2月末締め切りの原稿に追われるうちにいつしか忘れていたのだ。

 
春と言えば、菜飯が懐かしい。
先日、千葉県の勝浦市の海岸の畑で、
“野生の菜の花、アブラナ”などの花の芽や、葉を摘んできた。
女房が菜の花好きということもあり、お土産感覚で自宅に持ち帰った。
 
早速、彼女は菜の花とアブラナなどの青菜を茹でて、細かく刻み、
薄塩で味付けし、まぜご飯にして出してくれた。
なんと春の野の味はほろ苦いのである。
 
昔の田舎の味を思い出し、そのやわらかな緑の葉も、
春ならではの雰囲気が漂っているのに感心した。
久しぶりに菜飯で自然を満喫したような心地よさを感じた。
 
誰かが書いていたが自然から哲学を学ぶように、
私は今年も菜飯から春をいただいた。
花粉症の人には悪いが、野の花摘みもオツなもの。
そして、菜飯のほろ苦さは、大げさに言うと
人間だけが味わえる”味”のように思っている。
 
※野の幸をじんわり味わえる菜飯は、
旬を楽しむ「日めくり72候」(文藝春秋より出版 )の
3月7日のページに出ている。
(72候は、1年を72に分けた、細やかな季節の昔の日本の暦)
 
(喜多謙一)
 

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