『野次喜多本』登場人物の新たな“ちょっといい話”(7)漱石に英語を学ぶ“西田幾多郎”

 

時代を超えて読者の心を捉え、
幅広い世代に愛読されている国民的文豪・夏目漱石は、
新宿に生まれ育ち、その生涯を49年で閉じた。

今春、3月にオープンした新宿区立「漱石山房記念館」を訪れた。
漱石は晩年の9年間を「漱石山房」と呼ばれた早稲田南町の家で暮らした。
この家は和洋折衷の平屋建てで、庭の大きな芭蕉の木や、
モダンなベランダ式回廊が特徴的、「兎に角僕の書斎は雄大だからね。」と漱石の弁。

この地で「三四郎」「こゝろ」「道草」など、数々の名作を世に送り出し、
客間では、週一回木曜日に「木曜会」と呼ばれる文学サロンが開催され、
漱石を慕う若い文学者たちの集いの場になっていた。
芥川龍之介、森田草平をはじめとする漱石の門下生が漱石山房の様子を書き残している。

物心ついた5歳頃から、郷里が生んだ偉い哲学者の西田幾多郎大先生と鈴木大拙大先生、
この二人が私の頭に叩き込まれて、育てられたと言っても過言でない。
『野次喜多本』で私は書いた。

哲学者・西田幾多郎は、東京帝国大学選科の時に
3歳上の漱石に英語を習っているというのを聞いていたので、
この「漱石山房記念館」に、何か資料が残されていないか
見て回ったが見つけることが出来なかった。

思うに、大学の教え子の名簿まで残されていないのは当然だが、
時の英語の先生というのは“エリートだった”と思ったから探してみたに過ぎない。

学びのスタート月、4月。漱石に英語を習った西田幾多郎、
“師弟関係”というものも“ちょっといい話”に「漱石山房記念館」見て回って思った。

(喜多謙一) 

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