年賀郵便

岡本綺堂が、『年賀郵便』で書いている。
江戸時代のことは、敬老の話に聴くだけであるが、
自分の眼で視た明治の東京—その新年の賑わいを
今から振返ってみると、文字通りに隔世の感がある。
三ヶ日は勿論であるが、七草を過ぎ、十日を過ぎる頃までの東京は、
回礼者の往来で実に賑かなものだった。
明治の中頃までは、 年賀郵便を発送するものもなかった。
・・・郵便で回礼の義理を済ませるということはなかった。
まして市内に住んでいる人々に対して、
郵便で年頭の礼を述べるなどは、あるまじき事になっていたのである・・・
日清戦争は明治27年、8年であるが、28年の正月は
戦時という遠慮から、回礼を年賀ハガキに換える者があった。
それらが例になって年賀ハガキがだんだん行われてきた。
明治33年10月から私製絵はがきが許されて、
年賀郵便の流行を助けることになって、
年賀を郵便に換えるのを怪まなくなった。・・・
彼は、結びに、忙しい世の中に多大の便利をあたえるのは、年賀郵便である。
それと同時に、人生に一種の寂寥を感ぜしむるのも、年賀郵便であろう、と。
年賀郵便をメールを置き換えても変らない。
時には、明治の敬老の話に耳をかたむけたい。
良いお年を。
(喜多謙一)
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