コロナ禍開けの、この春休みの間に孫たちと海外旅行に出かけてきた。何と33年振りの仏・パリが入っていたので諸手を挙げて参加、33年という年月が経過しているのには、我が身ながら驚いて飛びついたということは“本音”である。
33年前の1991年、日本のバブル経済の最後の年に、縁あって購入したフランスはパリの“ビル建物の再利用”を任されたていたので、デザイン関係者として力を振り絞り、ファッション学校の短期運営を提案したら即座で決まった。
当時の会社は、ミシンや編み機のソフト教育者を養成していたので全国から優秀な先生方を集め、華のパリでの再教育は喜ばれたので1年ばかり続けた。1か月に30人ぐらい、毎月、15日間、生徒さんをパリでお世話したから年に12回パリに出張。
その活気ある、“パリ”の33年ぶりの再会、思わず力が入るから”呆れた“。
仏・ガイドブック(写真1)
エッフェル塔の入場券・2時間待ちの売り場風景(写真2)
エッフェル塔から見たオリンピック開会式会場のセーヌ川(写真3)
駅を美術館に改装”有名なオルセー美術館”予約しても入場待ち1時間。(写真4)
4月2日の夜帰国、羽田から帰宅途中の電車の中でのサラリーマンの”マスクの多さ“に驚いた。まるで病室での患者さんお見舞いのように私は思え“しばし、カルチャーショック”を受けた。パリではマスク姿を見なかったから日本の異常さに驚いたのだ。”百聞は一見に如かず“、パリの”元気を”少し紹介したい。(続く)
2024・4・5 喜多謙一