現在ほど、ものを考えるための基軸が失われ、
したがってそういうものとして(哲学)が要求されながら、
(哲学)とはなにかという輪郭がはっきりしなくなった時代も
少ないだろうと言われて久しい。
安藤忠雄が、石川県西田幾多郎記念哲学館や、
司馬遼太郎文学館を設計したと耳にして初めて、
西田幾多郎って誰?あぁ、「善の研究」の西田哲学のことだな…、
司馬遼太郎って?あの有名な「坂の上の雲」の作家か…、
と思い出せれば、まあ、凡人の仲間入りはできるだろう。
毎週、「気になるデザイン」についてブログを書きながら、
今、デザイン界に何が欠けているのかを考えている。
ソフトの面からみると、やはり気になるのはデザイン哲学である。
『哲学』と言うと難しく聞こえるが、
簡単に言えば、「考えること」=「哲学」と解してもいいだろう。
哲学は言語で語るものであり、デザインは作品で表現するものだから、
つい言葉を略して「いいデザインだろう」と一方的に押し付けがちで、
この良さが分からないのは「デザイン音痴だ」などと言う
軽蔑的な言葉を発するデザイナーもいるが、
それは、とんでもないことである。
言葉足らずでは、作品の良さは伝わらないことを自覚し、
時には、言語で語る哲学を真似て、自前のデザインを言語で語る、
そんなトレーニングをする必然性を、ここでは強調しておきたい。
安藤忠雄のデザイン哲学は、
建築を言語で語れる強みも大いにあるように思う。
(K.K.)